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ご協力機関と主催
主  催:漢中勉県武侯祠博物館
後  援:毎日新聞社/中国大使館文化部
     漢中勉県文化旅游部/漢中勉県書法家協会
事務局:武侯祠支援センター
報道協力:文化展望/新美術新聞
【諸葛孔明しょかつこうめい】(紀元181年4月14日生、紀元234年8月28日没)、後漢末の動乱から三国鼎立の時代を現出させた蜀の丞相(総理大臣)であり、清冽な一生を終えたその名を知る日本人は多い。孔明が眠る漢中勉県は北に太白山を主峰とする秦嶺山脈、西と南は四川省との境を隔てる米倉山脈、巴山山脈に囲まれた要害の地でありながら、西から東南にのびて長江に合流する大河漢水の恩恵を受け米や茶などの農産物に恵まれた豊かな土地である。漢字の語源となる漢の国の発祥地であり、漢中十三品と呼ばれる漢代の碑文を中心に13枚の石版が保存されている。また日本で絶滅した朱鷺の世界唯一の棲息地でもあり、数年前に漢中の朱鷺2羽が佐渡の朱鷺センターに贈られ繁殖に成功したことでも知られている。
行程と内容
 
去る2003年3月31日、この漢中勉県武侯祠に向けて、佐々木東天先生を団長に戴き「三国志を書こう」書道訪中団が、日本全国より寄せられた奉納作品6,489点を携えて日本を飛び立った。団員は青森から小中学生と父兄16名と一般参加の方と事務局9名の合計25名での訪問となった。
この活動は国外と国内にぞれぞれ明確な目的をもっている。対外的には創建1740周年を期して修築を開始した漢中勉県武侯祠を支援しつつ漢中勉県武侯祠を通し三国志遺跡の保護活動を展開し歴史観の共有を目指す面と、国内的には子供達が良書に接する機会をもって、感動感慨を墨書しながら家庭間、世代間の交流を促して書の人気向上を目的としている。
団長の佐々木東天先生は故徳野大空先生に師事され、自身は金文の解字から書表現を発展させ、視覚性と意味性を立体的にあらわし、観賞者の直感が作品の内容と一致するという書表現に取り組まれ内外に多くの支持を集めている。また子供達の書写教育は基本となる楷行を徹底修錬され、門下生はどの子も素直で明るく生き生きとしている。なお、佐々木団長は昨年世界遺産・洛陽龍門石窟保護委員会より招聘を受け龍門石窟の対岸にある香山第五万仏堂内に勒碑入座を果たしている。
 
 
4月1日
訪中団は雨模様の西安より空路漢中に飛ぶ。西安を襲った雨雲は秦嶺山脈の北側に多量の雨をもたらしたが、幸い漢中地方は薄曇り、眼下は一面菜の花の黄色い絨毯で迎えてくれた。
昼食後、漢の高祖劉邦の宮殿跡に建てられいる漢中市博物館を見学。開通褒斜道や石門頌など名品を見学。館内には曹操によるという石碑もありいよいよ舞台は近づくとの思いが子供達にも伝わる。館内の回廊には張宝徳前館長が招聘されて新しく入座したという二松学舎大学源川彦峰先生による臨開通褒斜道碑、他界された酒井子遠先生の未在碑、武内幽華先生の近代詩文の詩碑が、種谷扇舟先生や村上秀山先生とともに館内に刻されていた。団の中に酒井子遠先生とともに心芸墨美作家協会の運営の労をとられ現在副理事長をされておられる神蔵翠甫先生がおられ、感慨深く未在碑を写真に撮られていた。
次に、韓信が劉邦によって大将軍に任じられた拝将台を見学。韓信の股くぐりの逸話など聞いて、子供たちが一般参加の方に歴史を尋ねるなど世代をつなぐ会話に華が咲く。見学を終えホテルにもどると勉県より蘇館長が出迎えにこられ、明日の予定の確認をする。
 
4月2日
木牛流馬の製造地跡、定軍山の諸葛孔明公の墓所を見学。昼食を武侯祠博物館の招待所でとる。蘇館長の先導で明代建築様式の武侯祠山門をくぐると、地元小学生よる楽隊の歓迎をうける。すでに勉県人代の李加強主席、文体事業局熊建民局長をはじめ勉県の中学生、書法家、一般の方々が集まっておられた。佐々木団長の「山笑い花うたう」から始まる挨拶に、李先生は「菜の花咲き、漢中がもっとも美しい時期」と返され、「天下第一流」の扁額が掲げられている牌楼の前は和やかさに満ちた。蘇館長より全員が歓迎の黄金色のリボンを首から掛けていただき、日中の奉書揮毫会が始まる。孔明公が祭られる大殿にはすでに全国の奉書された作品が供えられている。この大殿に正対し、まず日本のこども達が揮毫した。紅白のフェルトの大きな敷物が容易されており、子供達は4人が横一列となって、この上に靴を脱いで着座し、日本より持参した黒い下敷きと半切の宣紙を広げ四隅を文鎮で固定する。用意が整うと全員が起立し「ただいまより揮毫いたします」の一声をもって墨書する。純白の紙に孔明公を賞賛する文言が墨書かれ、会場はオオーッという感嘆の声が上がる。そこにいた誰しもが、まさか日本の子供達が孔明を賛美する書をするとは思っていなかったようである。明らかに驚きと嬉しさの表情が見て取れる。事務局の私でさえ目を疑う。8才から12才の子供達が「名丞相孔明」「漢朝再興夢」「正大の気」「天下一」「三顧礼」「忠武侯」書き上げる。「これから孔明公に作品を披露します。」の声とともに、一斉に作品を大殿奥の孔明公に見えるように、つま先立ち、背伸びしながら掲げる。書に自分の気持ちを込め、それを正々堂々披露する。誰にも審査されない、誉められることもない。ただ天地神明に敬意をこめた気持ちをぶつけ、結果は自身で受けとめる。この子達は大人でも達しえない成長をこの一瞬で遂げたと思えた。日本の、子供達が終了すると机が運ばれ、中国の子供達が揮毫、続いて大人達の揮毫があり、参加者の中には書関係ではない方や同行のご父兄もいらっしゃったが、子供達に励まされその場で筆をとられたほぼ全員が揮毫完了。その後、紀念植樹、芳名碑に自身で刻名、大殿前での朱印の押印をへて公式行事は無事終了となった。宴会では20代後半より武侯祠博物館館長に就任して以来14年間の蘇館長が「外国の方にこんなにしていただいたのは初めてです。いまでは、孔明公は勉県の孔明公であり。中国の孔明公と思っていました。しかし今日初めて、日本の孔明公でもあり、世界の孔明公でもあることを知りました。」とおっしゃられ最後に「皆様のもうひとつの故郷がここにあるとおもっていただけよう整備につとめます。」と結んで下さいました。宴会には勉県の子供達も出席してくれいて、通訳さんを介しながら学校のことやTV番組のことなど話して楽しく過ごしている。別れる際に手渡した日本から持参した記念品も大変喜こんでもらったようだ。宴会終了後、全員漢中駅より西安行きの夜行寝台列車に乗込み、子供達はゲームをしたり、通訳の張女史が教えてくれた手遊びで満喫。大人の皆さんは久しぶりに大人同士で歓談で楽しく移動。
 
4月3日
東京班は宝鶏市で先に下りて、宝鶏市博物館と五丈原古戦場と五丈原武侯祠・楊貴妃墓を見学。青森班は終点の西安まで行き、その後兵馬俑坑博物館、華清池を見学し夕食時に合流。
 
4月4日
青森班は西の城門に登り、ここで30M短距離走を楽しむ。お昼の便で北京へ移動。水関長城とそこに建設された長城碑林を訪れる。そこには佐々木団長先生の書碑をはじめとする日本の書碑が50基余りと賛助された方々の刻名された碑板がある。風雪にさらされ傷みの激しいその碑姿に胸痛む思いがした。
東京班は兵馬俑坑博物館と華清池を見学。今回お母様と参加された川崎揖穂先生は華清池に師である故橋本照石先生の書碑を訪れることを楽しみにされていた。8年前に西安碑林博物館の成建正副館長の招請のもとに建設されたものだ、整備が行き届き遊歩道や銅板の案内も完備され、岩田文堂先生、加藤大碩先生、松本竹志先生等の書碑等とともに緑陰に佇み本当に奇麗でしたと感謝される。この華清池碑林の立案から建設に至るまで成先生から指名を受け携わった者の一人として大変嬉しい感想を聞けた。夕食は北京ダックの老舗全聚徳の個室で海部首相や村山首相が味わった本場のコース料理に舌鼓を打つ。
 
4月5日 全員無事成田到着